2011年12月12日月曜日

第17回総会・全国大会で見学会がありました

趙漢珪先生が畑で指導

 総会の翌日、地元の内田美津江さんの畑を皆で見学しました。内田さんは長年一緒に農業をやってこられたお父様を亡くし、現在はご主人と二人で農作業を行っています。最近息子さんが手伝ってくれるようになったそうですが、たくさんの種類の野菜をやっているので、忙しくて大変です。











 まずは土着微生物を入れたボカシ肥です。趙先生が「少し臭いがするので問題がある」と指摘しました。発酵が順調ではないようです。材料の問題か、切り替えしの問題かもしれません。



















 生姜の畑へ行くと葉っぱが真っ白に染まっていました。これは最近石灰をまいたからだそうです。趙先生が「なぜ石灰をまいたのですか」と尋ねると、「この時期にいつも親父さんがまいていたからです」と内田さんが答えました。「収穫前のこの時期は、熟期促進の処理をしなければなりません」と指摘しました。














 人参の畑では、何本か抜いてみてみました。「この時期では、ちょっと葉っぱの色が濃いようです。」と指摘しました。「この人参も仕上げの熟期促進処理をすれば、糖度もあがって味がよくなりますよ」とのこと。内田さんが一生懸命メモをとりながら「もう一度栄養週期から勉強しなきゃいけませんね。」と言ってました。



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 これは生姜の保管をするために掘った穴です。今まではお父さんが機械で直接掘っていたそうですが、今年は人に頼んで掘ってもらったそうです。







 ここに長期保存のものと、少しずつ取り出すものと区別して保管します。生姜はこの保管方法が大事です。温度と湿度管理がうまくいかないと腐らせてしまいます。長年の知恵があるようです。



 他に、サトイモ、ネギ、キャベツ、豆など多彩な野菜畑を見学しました。野菜をセットで宅配もしているので、色々な野菜を作るのでしょう。消費者は喜ぶでしょうが、管理が大変だなと思いました。



 見学が終わった後、お昼ご飯は内田さんがお弁当を作ってくださいました。野菜はほとんど内田さんの畑で出来たものです。お米も陸稲で作っているそうですが、水稲に劣らずとてもおいしかったです。熱い豚汁も用意され、いたれりつくせりの歓迎に一同感謝です。趙先生、奥さん、娘さんも喜んでいました。


 内田さんは、これから放射能汚染の問題にも立ち向かっていかなくてはなりません。土作りがよくできた畑では、団粒構造になって放射能を包み込む働きがあるという研究を発表した方もいるそうです。これまでしてきたことが決して無駄ぬはならないことは確かです。土着微生物の働きも期待できると思います。皆で知恵を寄せ合って頑張っていきましょう。

2011年11月17日木曜日

韓国の自然農業を視察 6

加工、流通、食堂まで経営、自然養豚





 最後に訪ねたのは全羅南道の西海岸にある務安(ムーアン)市の姜大容(カン・デヨン)氏の豚舎です。入り口には親環境農業認証の看板がありました。日本のJAS認証ではまだ畜産はありませんが、韓国ではもうあります。ここはエサに抗生物質を使っていないということで認証を受けています。




 カン・デヨンさんは42歳と若くてエネルギッシュです。現在豚の飼育頭数は母豚12頭と少ないのですが、仲間の自然養豚農家と組んで、肉の加工、流通、食堂まで経営しています。インターネット販売を始めて、現在寝る間もないくらいだそうです。


エサは以前自家配合していましたが、現在は忙しくてそこまで手がまわらないそうです。
「自然養豚」 の技術をなんとか残したいという思いでやっているそうです。


 豚舎の臭いがないのでドイツ人見学者の方々はまた驚いていました。発酵床のすごさです。




 分娩房では周囲に鉄棒を渡していました。これで母豚が寝るときの子豚の圧死がほとんどないそうです。

 これが、肉屋さん。一般の小売とネットできた注文の宅配も行います。


















 隣がカン・デヨンさんの奥さんがやっている食堂です。私は一人釜山へ向かわなければならないので、時間の関係で残念ながらここで食べることができませんでした。次回はぜひ食べてみたいです。

2011年11月16日水曜日

韓国の自然農業視察 5

 さらに広がる谷城郡の自然 農業





 このブログでも何度か紹介しましたが、全羅南道の谷城郡では郡をあげて自然農業に取り組んでいます。その中心は農業技術センターです。ここに自然農業の実習室があり、土着微生物や天恵緑汁、漢方栄養剤など自然農業の資材作りの実習をしますし、出来た資材の保管もし、農家が必要なときに必要な量を取りに来ることも出来ます。また、私たちのような見学者を受け入れているので、自然農業で使用するあらゆる資材がいつも展示されている場所でもあります。







「自然農業資材 実習場」の看板




 ここで自然農業チーム長の趙京勲(チョー・ギョンフン)氏が谷城郡での取り組みについて話してくれました。








 「私が自然農業を取り組むようになったのは近くの固城郡での稲作を見て驚いたからです。確認するために私は22回固城郡へ通いました。そして確信したのです。」現在ではその固城郡よりもここ谷城郡の方が熱心に取り組んでいるようで、年々自然農業による栽培面積は拡大していっています。


 例えば、稲作は2009年には23㏊だったのが、2010年には50㏊、2011年は70㏊、来年度は200㏊に増える予定です。作物も米だけでなく、メロン、サンチュ、ニラ、イチゴ、リンゴ、ウメ、ナシと増えていっています。さらに豚、鶏、牛と畜産への取り組みも始まっています。 上の写真は趙チーム長が今年収穫した稲のほ場の中で、301粒あった穂について説明しているところです。一般的には80~110粒。自然農業では平均180~200粒あったそうです。











 趙チーム長は谷城郡が自然農業に取り組む必要性について以下のように話してくれました。



1 地域の資材が農業で活用されること。 2 低費用高効率で農家の自立能力を養うこと。 3 政府依存から脱却すること。 4 病害虫のない高品質で安全な農産物を生産すること。


 これらを達成するために技術センターとして、 自然農業の基本講習会、専門講習会を支援、資材製造を共同で行っているとのことです。


 最近では学術的な研究が進んでおり、韓国の有名な化粧品会社アモレが谷城郡のリンゴやナシの成分について詳しく調べているそうです。残念ながらその資料を手にすることが出来ません。この写真はナシの保存期間が長いことを説明しているものです。上の写真は韓国のSBSテレビで紹介された日本の「奇跡のリンゴ」。保存期間が長いと比べていますが、自然農業でも同じような現象が起こっているというわけです。左側が慣行農法のナシで、右側が自然農業のナシです。左の写真から順に2010年2月8日、3月3日、3月25日、4月7日です。慣行農法のナシは真っ黒になって腐っていていますが、自然農業のナシは少しずつ形が悪くなっていっているだけで、その差は歴然としています。これが自然農業の特徴でしょう。生命力の強さ。すばらしいですね。


 この後、見学者も資材作りの実習をしました。これは観賞用のリンゴ(ヒメリンゴ)を刻んだり、つぶしたりして黒砂糖をまぶして果実酵素をつくっているところです。








  外では水溶性カルシウムを作るためにカキガラを焼いていました。




 カキガラはそのままでは溶けにくいので焼きます。バーベキューのような要領です。表面が白くなるまで約2時間くらい焼くそうです。




 これをカメかビンに入れて玄米酢を入れます。この時注意するのは、カメの口までいっぱいいっぱいに玄米酢を入れないこと。反応して噴き出してしまいます。





 ドイツからの見学者を歓迎する横断幕まで準備されていました。ドイツ語で書かれた歓迎の言葉に一同感激です。








韓国の自然農業を視察 4

 自家配合のエサで自然養鶏10年 








 次に訪ねたのは順天市で養鶏をしている金桂洙(キム・ケース)氏です。私は順天農協は何度も訪ねていますが、キム・ケースさんのお宅は初めてでした。養鶏場は順天市のはずれ、少し高い所でした。










 キム・ケースさんは高校で社会科の教師をしていましたが、やめて11年、自然農業を始めて10年になります。現在鶏は1500羽。飼育は一人でやり、卵の箱詰め、発送などは手伝いの人を雇っています。










 鶏舎に来て、ドイツ人の人たちは皆、臭いのないことや鶏が静かな事に驚いていました。ドイツからのお客さんは農家の人は少なかったのですが、中に畜産関係の人や、教会の関係でこれから共同体として畜産を含む農業を始めようとしていて、関心が高かったようです。













 鶏舎の前にサツマイモのツルと葉が積んでありました。いもの収穫と一緒に持ってきて乾かしているようです。これといもをエサの中に15~20%入れるそうです。エサには赤土も入れるという事でそばに積んでありました。










 冬期用に葉を切ってそのままビニールの袋に入れてサイレージを作っていました。「一緒に米ヌカも入れるといいんですが、なしでも充分発酵します」冬場は青草類が足りないときは、大根やカボチャを使用するそうです。




 卵は一個500ウォン、一般の卵の倍以上で販売します。販売はすべて直接配達しているそうです。


 最後にキムさんに何か問題点がありますかと訪ねたら「この十年間旅行に一回も行けていないことです」と言ってました。でもうれしそうに話していましたから、その代わり生活は安定しているということでしょう。

韓国の自然農業を視察 3

自然農業14年 楽園のようなカキ園





 次に訪ねたのは全羅南道潭陽(タミャン)の羅相采(ラ・サンチェ)氏のカキ園です。ここは昨年の果樹・一般作物専門講習会のときにも見学ツアーで訪れた所で、最も印象深かった農場として記憶している所でした。忠清南道の瑞山からはかなり南へ下った所なので、訪ねたときはすでに5時を過ぎて薄暗かったのが残念でした。













 まず、山あいに広々と広がるカキ園に風景に心を奪われてしまいます。カキ園の下は緑の芝生に覆われています。ここへくるといっぺんで心が解放されたような気分になります。見下ろせば、遥か遠くまで町が見渡せます。ここへ来て過ごして、ここのカキを食べて病気が治ったという話にも頷けます。



 
































さっそく収穫されたカキをいただきながら、後継者として一緒に仕事をしている息子さんの説明を聞きました。カキは収穫にはまだ一週間くらい早いそうですが、とてもおいしかったです。





 ラ・サンチェさんは若い頃都会に出て仕事をしましたが、故郷に帰って農業を継ごうと思ったとき、自分の理想郷を目指して有機農業に取り組みました。無農薬栽培は1年目は良い成績でした。二年目もまずます、ところが三年目に入ったときには病虫害にやられて収量は70%減ーつまり3割しかありませんでした。


 そうしていたら趙漢珪先生との出会いがあり、自然農業を始めました。そして14年。「現在は完全な自然農業とは言えないかもしれませんが、ある程度の所まで来ました。農薬は石灰硫黄合剤と殺虫目的で薬草液を散布しています」とのことです。薬草液とはヤマゴボウの根、イチョウの葉、ニンニクを焼酎に漬けて抽出した液です。ヤマゴボウ(韓国名チャリゴン)は以前、FAXネット通信でも紹介したことのある植物農薬です。







  販売先はハンサルリムという消費者意識の高いことで有名な生協です。消費者との交流も行っています。ここへはまるでピクニックにでも来るような感じで遊びに来るそうです。居心地が良くて泊まっていく人もいるとか。










 父親の目指した理想郷をこの息子さんが引き継いで、さらに発展させてほしいと思いました。




 これは韓国の国が認定する親環境農産物の認証農場の看板です。それに自然農業協会の認証もあわせて書かれています。




 趙先生の横で笑っているのは、一緒に同行した韓国の大学生で、現在ニューヨーク大学で勉強中。今回は自然農業をテーマに論文を書くという事で現場の取材を行っていました。 

2011年11月15日火曜日

韓国の自然農業を視察 2

干拓地で55ヘクタールの稲作 自然農業で克服

 今回実施するにあたって、基本的な自然農業の稲作法にプラスして行ったことは塩害対策でした。それは土着微生物を拡大培養するとき水分調整に30倍の海水を使用するということです。こうして塩分に強い土着微生物を培養したわけです。 こうして出来た土着微生物4番を反当150㎏撒きました。

 今年は雨が多かったことも幸いしたようです。一般的には長雨は困ったものですが、ここでは塩害の被害を少なくしてくれたようです。

 ただ、均平が完全でなかった為、低いところは水が深くなって、除草目的で入れたジャンボタニシが稲を食べてしまい、ところどころぽっかりと空間が空いてしまいました。
(しかし、のちに収量がわかったそうですが、まずまずの収量だったそうです)


 ここ現代瑞山(ソサン)農場は、日本の和牛にあたる韓牛も飼育している。韓牛は阿蘇で見られる赤牛によく似ている。すでに亡くなったが現代グループの鄭周永会長が北朝鮮に送った500頭の韓牛はこの農場から送られたそうです。



 ここでは、牛にやるワラを昔ながらの方法で蒸してやっている。とても健康で昨年韓国中で問題になった口蹄疫にもかからなかったそうだ。その飼育法を売りにして現代デパートで普通の牛肉の2~3倍の価格で売っているそうです。


 今後、この瑞山農場で自然農業の取り組みが拡大されたら、自然農業で栽培された稲ワラをエサにして、さらにブランド力を高める計画をしているそうです。

2011年11月2日水曜日

韓国自然農業の現場を見学 1

干拓地で自然農業稲作





去る10月17日、18日に韓国の自然農業の見学ツアーに姫野が参加してきました。今回はドイツからの見学者のツアーのバスに同行させてもらっての見学でした。



自然農業の国際的普及はどんどん進んでいて、最初はアジアを中心に広がっていましたが、その後アフリカ、ハワイ、アメリカ本土、ヨーロッパまで広がっているということです。その土地のあるものを活用して付加価値の高い農産物を生産するということですから、どんな環境の地域でも実践できるわけです。

趙漢珪先生はクリスチャンで、自然農業のヒントは90%聖書から得たと言っている程ですが、キリスト教を通したネットワークもあって、海外でキリスト教を布教している牧師さん達が地域の農業問題を解決するために、この自然農業に注目していて、自ら基本講習や専門講習を履修し、赴任地で広めるという場合が多いのです。



 今回もドイツのブレーメンから来たメンバーだが、教会の牧師さんや教会で通訳などしている韓国人が一緒に来韓していました。お陰で、私はまったくドイツ語は解りませんが、現地に住む韓国人の方にいろいろ伺うことで、ドイツの様々な情報を得ることができました。



 まず訪ねたのは、忠清北道瑞山(ソサン)というところ。 ここは韓国の財閥現代グループの現代建設が1979年から、「食糧増産」「国土拡大」を目的に大干拓事業が行われたところです。 この写真は本部の建物です。正面には「変化と確信、超一流企業!」と書いてありました。





これが、干拓事業の現況です。A地区、B地区と分かれていて、上の段が現代が所有している所で、下の段は一般所有、個人に分譲したところです。三段目は湾を堰き止めて出来た淡水湖です。単位は万坪ですから、全部合わせた面積は約15,500ヘクタールになります。





 稲作を始めたのは1986年で、最初は試験的に行われました。本格的に始まったのは1995年ということです。





 ところが干拓地なので、塩害の問題が発生しました。稲が黒くなってしまうのです。収量は半分以下の場合もあります。特に低い地域は激しく、5分の1しかない場合もあったそうです。



 そこで、趙漢珪先生の自然農業研究所に相談したところ、土着微生物を活用すれば充分できると言われました。


 自然農業研究院では、今年これを証明してみせるために、55ヘクタールの田んぼや機械を借り、自然農業を実施しました。そしてみごとに克服してみせたのです。しかも趙漢珪先生と娘さんの趙珠榮さん、それと現地の担当者の3人で。忙しいときは人を頼んだそうですが、基本的には3人で全て行ったそうです。

2011年10月13日木曜日

不思議なマザーリーフ

 これは、マザーリーフという植物です。写真をご覧になれば判るかと思いますが、葉っぱを水にただ浮けべていただけなのですが、葉っぱの縁から根が出て、芽が出ています。





 先月20日に友人からもらって試しています。3週間ぐらいたっていることになります。友人の家では、すでに30㎝くらいの高さに育って、普通の観葉植物のような姿でした。










 なんか、不思議。






 裏側です。



 これからどう育つか楽しみです。

アジア学院(2)



 アジア学院の豚舎では、以前よりオガクズや土着微生物による発酵床を利用してきました。


しかし、床に使用した稲ワラが放射能に汚染され、そのわらを食べた豚の肉からセシウムが検出されました。


国の基準値をはるかに下回る数字(10bq/㎏)でしたが、一部の消費者から販売を断られました。


今回、自然農業の豚舎を建築するという事で、建築予定地を調べてみました。



自然農業の豚舎は、自然の恵みを上手に生かした豚舎で、建築にあたっては方向が重要視されます。



東西に建てて、北側が通路でえさ箱を設置します。そして南側に給水器を設置します。


東西に建てることによって、一日を通して太陽光線が豚房の隅々まで射し込みます。また、エサ箱と給水器を離して設置することによって、自ら豚が運動をするようにするのです。


その後、事務所にもどり、校長先生も交えて打ち合わせをしました。覚書をかわし、契約書を結ぶこと、そして、アジア学院で11月に基本講習会を開くこと、来年4月北九州で行われる、趙先生による豚の専門講習に参加することなどが決められました。


志藤さんから、今後の日本における養豚(養鶏も)の技術を協会でどのように責任をもって指導していけるか、今養豚に取り組んでいる会員の人たちによる専門部会や役員会での話し合いが必要だと提案されました。日本における独自の体制作りが急がれます。

2011年10月4日火曜日

アジア学院へ行ってきました



9月20日、栃木県のアジア学院へ行ってきました。アジア学院はアジア・アフリカの国々の有機農業の農村指導者を養成している学校です。自然農業協会との関係は古く、趙漢珪先生の講演や講習会を何度か行っています。また、自然農業協会の会員の方の中には、アジア学院の研修生の実習や見学の受け入れを行っている方も多いです。写真は本部建物です。


今回の訪問は、アジア学院に自然養豚の豚舎を建てるための打ち合わせが目的でした。3月11日の震災のとき、アジア学院のあたりは震度6強だったそうです。福島県の隣の県ですから、それぐらい大きくても当然だったでしょうが、距離が遠く離れているので、そんなに大きかったとは思いませんでした。しかし、建物にはヒビが入り、豚舎も壊れてしまいました。立て替えるにあたり、以前より自然農業式豚舎に近く形で発酵床で飼育してきたので、今回は正式に自然農業豚舎の設計図に基づいた豚舎を建てようということになったわけです。


自然農業協会では、豚舎や鶏舎など畜舎を建築するには一定の規定があります。まずは、基本講習会を受講していること。この豚舎での飼育法を開発、研究してきた韓国自然農業研究院の趙漢珪先生に技術開発費を支払う事。建築後も技術の研究や会員同士の情報交換に勤めることなどです。


アジア学院に職員の方が以前基本講習を受けましたが、現在その方はいません。しかし、豚舎は壊れ、臨時のハウス豚舎に豚は収容されていますが、至急豚舎の建築をしなければなりません。そのような事情を考慮して、今回はまず、豚舎の建築に取り掛かり、後に基本講習を受けるということになりました。その事を確認するために、通常取り交わされる契約書と別に覚書を取り交わすことになり、その打ち合わせを行うのが目的でした。


当日、山形の志藤正一さんと那須塩原駅で待ち合わせ、アジア学院の荒川さんに迎えに来てもらいました。志藤さんは福島での集会の帰りでしたが、被災地を見て「はるか彼方まで続く瓦礫の山を見て、これがもと農地や住宅地だったと思うと涙が出てきた」と言っていました。テレビで放映されるのは画面に切り取られた部分的なもので、実際ははてしなく広がっているのです。

アジア学院につくと、まずは今回の地震による被害について説明を受けました。建物や中の器物の被害もさることながら、最も大きな被害は放射能汚染です。分布図を見ると、原発のある位置を中心に放射性物質が広がっていますが、必ずしも同心円状にではなく、風向きのせいか、栃木県にも大きく飛散していることが分かります。



アジア学院では各機関の協力を得て、土壌汚染や農産物の汚染状況を小まめに調査しています。また荒川さんをはじめ、職員はクイクセルバッジというレントゲン技師が年間被爆量を計測するために身に着ける測定器をつけています。荒川さんなど農場へ出ている機会が多い職員は室内作業の職員に比べ被爆量が多くなるからです。



この日はちょうど台風が通過する日だったので、ときおり強い雨が降ってくるという状態でしたが、豚舎の建築地も見なければいけないので、農場をまわりました。

2011年9月15日木曜日

樟脳について 続き

樟脳の使用法

 内野樟脳さんでは、出来た樟脳を1袋(50g入り)500円で販売しています。使用するときは、これを少量ずつ分けて、ティッシュペーパーやお茶パックなどに入れて、衣類の防虫に使用します。


 実際に家で試してみましたが、タンスや衣装箱は閉じられるのでしませんが、クローゼットの場合は戸が通気用にすき間があるのでそこから匂いがもれてきて、部屋中に香りがあふれてしまいました。量が多すぎたようです。親指大くらいでしょうか、ほんの少しずつでいいのですね。


樟脳水の活用

 ところで、内野樟脳の藤井さんは、樟脳を製造する過程で出てくる水を農業で活用できないかと思っています。固体を取り出した後の水ですから、まだ強い匂いが残っています。殺虫とまではいかなくとも忌避剤にならないかということなのです。現在、この水は捨てられています。


 樟脳そのものをハウスの中でつるして使用し、効果があったという報告もあるそうです。農薬として使用するには価格が高いかもしれませんが、化学合成されたものではないので安心して使用できます。



 藤井さんは、工場のそばの畑を借りて、大豆や米を栽培していますが、これらにさきほどの樟脳水を原液のまま散布して、実験していました。今のところ、お米に関しては散布していない対照区との大きな差はみられませんでしたが、大豆はこれからどうなるか楽しみです。

2011年9月13日火曜日

内野樟脳さんを訪ねました

伝統技術を守る内野樟脳
先日、みやま市の内野樟脳さんを訪ねました。事務局のある筑後市から車で15分くらいの場所です。私の親戚のおばちゃんの紹介で訪ねることになりました。そのおばちゃんが畑を貸している方が内野樟脳で働いていらっしゃって、自然農業にも関心があるという話から、訪ねることになりました。









 その方は藤井さんと言いますが、話を伺っているうちに、以前私が住んでいた神奈川県藤沢市の食生活研究会が、その内野樟脳で出来た樟脳の販売を大部分受け持っているということが分かり、驚きました。食生活研究会には藤沢市に住んでいたとき浅井まり子さんをはじめお世話になった団体です。そう言えば、樟脳を使いましょうという運動をしていたのを覚えています。しかし場所は鹿児島県ではないかと思っていました。

 樟脳は昔はとても大事な産業の一つだったようです。薩摩藩など、その収入が大きかったそうです。それで原料となる楠(クスノキ)が多く植林されたそうです。それがナフタリン等の合成化学製品にとってかわられて、現在ではほぼなくなってしまいました。九州で2軒、それも明治初期から続けている所は内野樟脳さんだけだそうです。





 工場が近づくにつれ、樟脳独特の香りがしてきました。伝統的な古い建物の前に大きな木が積んであります。





















 内野樟脳さんは現在五代目。左が藤井さんで右が五代目の内野和代さんです。
















 原料のクスノキを大きな金鋸でけずります。 大きめのチップ状にします。




















 それを大きな釜で蒸します。その水蒸気を水で冷やして液に精製します。焼酎のような工程です。


 釜の燃料は、蒸して蒸留したくずを乾燥させたものです。電気やガスは一切使っていないそうです。昔ながらのやり方を守っているのですね。
あがった蒸気がパイプを通って冷却されますが、溜めてあるこの水は井戸水です。 この下にパイプが通っています。















 それをこの大きな樽状の容器に入れて、圧力をかけて、液体と固体に分けます。
































 この白い固体が樟脳です。約6トンの原料木から40~50㎏の樟脳がとれるそうですが、出来上がるまでに約一週間かかるそうです。



大変な作業をして、わずかな量しかとれない樟脳。貴重ですね。